依存 斉藤 学
2007年9月11日第39回「プロセス依存」ということ 精神科医・斎藤学
アルコールや薬物の摂取にのめり込む状態を指して使われていた「○○依存症」という言葉が日常生活の様々な面で使われるようになってきた。仕事依存症とかギャンブル依存症のように。これについては私にも責任の一端があるので、この言葉が発生した経緯を述べる。
もともとは1960年代のWHO(世界保健機構)がそれまで用いていたdrug addictionを止めてdrug dependence syndromeを使おうと提案したことに始まる。70年代の後半、日本でも遅ればせながらこれに対応しようということになり、厚生省(現厚生労働省)の精神保健課が、当時「慢性アルコール中毒」と呼ばれていた疾患への対策を考える専門委員会を設置した。私がその原案というか叩き台みたいなものの作成を命じられたのは、その直前までアルコール関連疾患を扱う国立施設(現久里浜病院)に所属していて、70年代の冒頭にはWHOのフェローとして薬物依存対策を研修させられていたからである。
その原案で、私はalcohol dependence syndromeを「アルコール依存症」と訳した。当時私の書斎の机上にあった漢和辞典「字源」に「症は証なり」とあって、幾つかの徴候の集まりを言うと解されたからである。「症」は一字で「症候群」を意味するからこれでいいと思った。ちなみに「病」(へい)とは病状の増悪を重ねるものを言う。
そういうわけで、addictionという用語は薬理学および精神医学の領域から追放されてしまったのだが、日常用語ないし臨床心理学用語としては用いられる頻度がかえって増えた。それはそうだろう。これはラテン語のaddictus(割り当てる、ゆだねるの意のaddicereの過去分詞)に発する由緒ある言葉だから、薬理学者たちが恣意的に切り捨てられるようなものではない。このラテン語で「ゆだねられた」とは「とり憑かれた」ことである。「取り憑かれ(obsession)」は精神医学では強迫観念と訳され、「ある考えや行為にはまって抜けられないこと」を意味するから、ギャンブル、窃盗、過食、セックス、買い物、ある種の人間関係(共依存)などにはまりこむのをこの言葉で表現するのは妥当だ。
それどころか、これら心理・行動的アディクションも、脳内では薬物依存症と同じ仕組みが働いていることがわかってきた。これを説明するにはドーパミン作動神経系の興奮と、それを抑制するGABA支配神経系の相互作用、それに絡まるベータ・エンドルフィン(オピオイド=脳内麻薬)などについて述べなければならないのだが、ここでは字数が足りない。
ただ、リストカット(手首切り)などの自傷行為の際にもオピオイドの放出が導かれて無痛感(や陶酔感)が生じることは指摘しておいたほうが良いだろう。つまり自傷行為もまた依存症を引き起こすのだ。βエンドルフィンの放出は格闘、性的興奮、ジョギング、持続する発熱、神経性大食症(bulimia nervosa)の際の自己誘発性嘔吐などでも報告されている。これらが繰りかえされるとすれば、それは行為の過程(process)として生じる依存症なので「プロセス依存」と呼ばれる。
今の時代、この種の行為にはまっている人々は多いが、そこから自力で抜け出すのは困難だ。アルコール依存症では自助グループで「先を行く仲間」に出会え、ということが言われるが、これは他の依存症についても言える。しかし自傷依存症や買い物依存症の人が、自力でその種の集会を見出すのは難しかろう。彼らに出会いの場を用意するのも治療者としての私の仕事のひとつだと思う。4月22日に東京の「すみだリバーサイドホール」(墨田区役所の隣)で開く「JUSTアディクション・フォーラム2007」(JUST:Tel 03-5574-7311 http://www.just.or.jp/)はそうした集会のひとつなので、関心をお持ちの方は参加して頂きたい。
アルコールや薬物の摂取にのめり込む状態を指して使われていた「○○依存症」という言葉が日常生活の様々な面で使われるようになってきた。仕事依存症とかギャンブル依存症のように。これについては私にも責任の一端があるので、この言葉が発生した経緯を述べる。
もともとは1960年代のWHO(世界保健機構)がそれまで用いていたdrug addictionを止めてdrug dependence syndromeを使おうと提案したことに始まる。70年代の後半、日本でも遅ればせながらこれに対応しようということになり、厚生省(現厚生労働省)の精神保健課が、当時「慢性アルコール中毒」と呼ばれていた疾患への対策を考える専門委員会を設置した。私がその原案というか叩き台みたいなものの作成を命じられたのは、その直前までアルコール関連疾患を扱う国立施設(現久里浜病院)に所属していて、70年代の冒頭にはWHOのフェローとして薬物依存対策を研修させられていたからである。
その原案で、私はalcohol dependence syndromeを「アルコール依存症」と訳した。当時私の書斎の机上にあった漢和辞典「字源」に「症は証なり」とあって、幾つかの徴候の集まりを言うと解されたからである。「症」は一字で「症候群」を意味するからこれでいいと思った。ちなみに「病」(へい)とは病状の増悪を重ねるものを言う。
そういうわけで、addictionという用語は薬理学および精神医学の領域から追放されてしまったのだが、日常用語ないし臨床心理学用語としては用いられる頻度がかえって増えた。それはそうだろう。これはラテン語のaddictus(割り当てる、ゆだねるの意のaddicereの過去分詞)に発する由緒ある言葉だから、薬理学者たちが恣意的に切り捨てられるようなものではない。このラテン語で「ゆだねられた」とは「とり憑かれた」ことである。「取り憑かれ(obsession)」は精神医学では強迫観念と訳され、「ある考えや行為にはまって抜けられないこと」を意味するから、ギャンブル、窃盗、過食、セックス、買い物、ある種の人間関係(共依存)などにはまりこむのをこの言葉で表現するのは妥当だ。
それどころか、これら心理・行動的アディクションも、脳内では薬物依存症と同じ仕組みが働いていることがわかってきた。これを説明するにはドーパミン作動神経系の興奮と、それを抑制するGABA支配神経系の相互作用、それに絡まるベータ・エンドルフィン(オピオイド=脳内麻薬)などについて述べなければならないのだが、ここでは字数が足りない。
ただ、リストカット(手首切り)などの自傷行為の際にもオピオイドの放出が導かれて無痛感(や陶酔感)が生じることは指摘しておいたほうが良いだろう。つまり自傷行為もまた依存症を引き起こすのだ。βエンドルフィンの放出は格闘、性的興奮、ジョギング、持続する発熱、神経性大食症(bulimia nervosa)の際の自己誘発性嘔吐などでも報告されている。これらが繰りかえされるとすれば、それは行為の過程(process)として生じる依存症なので「プロセス依存」と呼ばれる。
今の時代、この種の行為にはまっている人々は多いが、そこから自力で抜け出すのは困難だ。アルコール依存症では自助グループで「先を行く仲間」に出会え、ということが言われるが、これは他の依存症についても言える。しかし自傷依存症や買い物依存症の人が、自力でその種の集会を見出すのは難しかろう。彼らに出会いの場を用意するのも治療者としての私の仕事のひとつだと思う。4月22日に東京の「すみだリバーサイドホール」(墨田区役所の隣)で開く「JUSTアディクション・フォーラム2007」(JUST:Tel 03-5574-7311 http://www.just.or.jp/)はそうした集会のひとつなので、関心をお持ちの方は参加して頂きたい。
誕生
2007年8月23日はるみちゃんちの孫はH19,8,12女の子 聡海(さとみ)
屋島惠子さんちはH19,8,14男の子 蒼天(そうた)
羽田野 蒼天
カラカラの可愛い枕を惠子さんちにプレゼント。
はるみちゃんちにはめぐみが枕とエプロンをプレゼントした。
屋島惠子さんちはH19,8,14男の子 蒼天(そうた)
羽田野 蒼天
カラカラの可愛い枕を惠子さんちにプレゼント。
はるみちゃんちにはめぐみが枕とエプロンをプレゼントした。
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無意識の中への抑圧
2007年8月2日無意識の中への抑圧前回に抵抗の話しをしましたが、
今回は、「抑圧」についてお話します。
精神分析治療の際に、分析家は患者に
何でも頭に浮かんだことを、自由に話してくださいと云います。
しかし患者は「これはつまらないことだから」とか、
「口に出すの恥ずかしいから」とか色々理由をつけて、
云わないでおこうとします。
なぜ言わないかといえば、抑圧されているからです。
しかし、言わないことの中にこそ、神経症の原因がある筈です。
何故なら、自分で認めたくないからこそ抑圧したわけで、
そこが一番さわられたくない部分なのです。
抑圧されたものの中に、分析家が近づけば近づくほど、
抵抗は強まります。
重要なことは抑圧は、
自分の知らないところで行われるということです。
「これはいやだな」「忘れてしまいたいな」と、
思うこととは違います。
知らない内に抑圧されて、
知らないがために症状として現れるのです。
ここからが、精神分析的なところですが、
欲望があって、それは満足を求めます。
ところが、欲望を満足させることは、まずいと自我が判断して、
抑圧してしまうことがあります。
しかし欲望はあきらめずに満足を求めます。
まるでモグラ叩きみたいに、一つの出口を塞いでも、
別の出口を探し、症状という形をとって出てきます。
満足させられなかった欲望は常に、性的なものです。
このように症状というのは、性的欲望充足の代理物です、と、
精神分析では考えています。
このメカニズムは、
ヒステリーと、強迫神経症にしか当てはまりません。
ヒステリーの場合は、体の症状となって現れます。
ポジティブな別の形をとって、願望を充足しようと考えます。
体の症状を分析していくと、
願望の充足を意味していることは明らかです。
反対に、強迫神経症の場合は、
その願望を避けなければならないと言う、
儀式を一生懸命にするのです。
強迫神経症には、そのような禁欲的な意味があります。
いずれにせよ、症状とは願望充足の代理です。と同時に
願望を充足しようとする力と、それを邪魔しようとする力の
副産物です。
精神分析によれば、
神経症の原因になる抑圧された願望はすべて、
性的願望と云うことになります。
『神経症には、性的な原因がある』
そのことの説明を、次回に致しましょう。
今回は、「抑圧」についてお話します。
精神分析治療の際に、分析家は患者に
何でも頭に浮かんだことを、自由に話してくださいと云います。
しかし患者は「これはつまらないことだから」とか、
「口に出すの恥ずかしいから」とか色々理由をつけて、
云わないでおこうとします。
なぜ言わないかといえば、抑圧されているからです。
しかし、言わないことの中にこそ、神経症の原因がある筈です。
何故なら、自分で認めたくないからこそ抑圧したわけで、
そこが一番さわられたくない部分なのです。
抑圧されたものの中に、分析家が近づけば近づくほど、
抵抗は強まります。
重要なことは抑圧は、
自分の知らないところで行われるということです。
「これはいやだな」「忘れてしまいたいな」と、
思うこととは違います。
知らない内に抑圧されて、
知らないがために症状として現れるのです。
ここからが、精神分析的なところですが、
欲望があって、それは満足を求めます。
ところが、欲望を満足させることは、まずいと自我が判断して、
抑圧してしまうことがあります。
しかし欲望はあきらめずに満足を求めます。
まるでモグラ叩きみたいに、一つの出口を塞いでも、
別の出口を探し、症状という形をとって出てきます。
満足させられなかった欲望は常に、性的なものです。
このように症状というのは、性的欲望充足の代理物です、と、
精神分析では考えています。
このメカニズムは、
ヒステリーと、強迫神経症にしか当てはまりません。
ヒステリーの場合は、体の症状となって現れます。
ポジティブな別の形をとって、願望を充足しようと考えます。
体の症状を分析していくと、
願望の充足を意味していることは明らかです。
反対に、強迫神経症の場合は、
その願望を避けなければならないと言う、
儀式を一生懸命にするのです。
強迫神経症には、そのような禁欲的な意味があります。
いずれにせよ、症状とは願望充足の代理です。と同時に
願望を充足しようとする力と、それを邪魔しようとする力の
副産物です。
精神分析によれば、
神経症の原因になる抑圧された願望はすべて、
性的願望と云うことになります。
『神経症には、性的な原因がある』
そのことの説明を、次回に致しましょう。
宇佐美百合子
2007年7月24日あなたは、日常のストレスをどのようにして解消していますか? 最近よく見かけるのは、< 暮らし向きは平和で、頭を抱えるほど大きな悩みがあるわけではないけれど、なんとなく憂鬱 >という人たちです。
そういう人たちは、ちょっとしたことにすぐイライラしたり、人から言われたことをいつまでも気に病んだり、あるいは、将来に漠然と不安を感じて気弱になったり、自信を失ったりします。
あるテレビ局のストレス実態調査で、女性のストレスの代表的なものとして次の3つがあげられていました。<?先の見通しが立たない。?心身の衰えを感じる。?容姿に不満がある。>どうでしょうか。あなたも心当たりがありませんか?
つまり、私たちのだれもが、たえずこうしたストレスを抱えて生きているということなんです。でも、楽しく生きている人とそうでない人がいるのは、追いかけてくるストレスをいつまでも引きずらないで解消しているか、心に積もらせているかの違いだと思います。
今日から"引きずり族"を返上しましょう! ストレスは、溜め込まなければ恐れるものではありません。だって私たちは、普段は降りかかってくるストレスをやる気に切り替えて、勇気を奮い起こしているのですから。
イキイキ暮らすには、小さなストレスを引きずらないで流すことと、消耗した心のエネルギーを充電することが必要不可欠。自分に合った"ストレスをやる気に切り替える方法"を暮らしの中に見つけておきましょう。
とはいっても、実際は「時間とお金のかかることは続かない」というのが現実だと思います。そこで今回は、だれでも毎日できるストレス軽減法をお伝えします。
トイレタイムを活用する方法です。排尿時に、イメージングを用いて抱えているストレスを一気に流してしまおうというもの。簡単、便利、継続しやすいという点で、とても有益だと思います。
心身は一体ですから、心が負ったストレスを体の不調として感じる場合も、また逆の場合もあります。トイレに入ったら、まず"今もっとも減らしたいストレス"を具体的に思い浮かべます。
そして排尿するときに、「私の中にある○○のストレスは出ていけ〜!外に出ていけ〜!」と命令するのです。最後に、水を流しながら「これでよし!」といいます。
特に気力をよみがえらせたいときは、トイレに行くたびにしばらく続けてみてください。心身の疲れをとりたい人も、かなり緩和できるでしょう。ただし、遊び半分の気持ちではダメですよ。
体内の不要なものを、実際に排出しながら行う方法はパワーがあるのですが、効果のほどは、本人がどのくらい真剣に行うかにかかっています。イメージングで脳に送った指令を全細胞に浸透させるのですから、効果があることを信じてまじめにやってくださいね。
そういう人たちは、ちょっとしたことにすぐイライラしたり、人から言われたことをいつまでも気に病んだり、あるいは、将来に漠然と不安を感じて気弱になったり、自信を失ったりします。
あるテレビ局のストレス実態調査で、女性のストレスの代表的なものとして次の3つがあげられていました。<?先の見通しが立たない。?心身の衰えを感じる。?容姿に不満がある。>どうでしょうか。あなたも心当たりがありませんか?
つまり、私たちのだれもが、たえずこうしたストレスを抱えて生きているということなんです。でも、楽しく生きている人とそうでない人がいるのは、追いかけてくるストレスをいつまでも引きずらないで解消しているか、心に積もらせているかの違いだと思います。
今日から"引きずり族"を返上しましょう! ストレスは、溜め込まなければ恐れるものではありません。だって私たちは、普段は降りかかってくるストレスをやる気に切り替えて、勇気を奮い起こしているのですから。
イキイキ暮らすには、小さなストレスを引きずらないで流すことと、消耗した心のエネルギーを充電することが必要不可欠。自分に合った"ストレスをやる気に切り替える方法"を暮らしの中に見つけておきましょう。
とはいっても、実際は「時間とお金のかかることは続かない」というのが現実だと思います。そこで今回は、だれでも毎日できるストレス軽減法をお伝えします。
トイレタイムを活用する方法です。排尿時に、イメージングを用いて抱えているストレスを一気に流してしまおうというもの。簡単、便利、継続しやすいという点で、とても有益だと思います。
心身は一体ですから、心が負ったストレスを体の不調として感じる場合も、また逆の場合もあります。トイレに入ったら、まず"今もっとも減らしたいストレス"を具体的に思い浮かべます。
そして排尿するときに、「私の中にある○○のストレスは出ていけ〜!外に出ていけ〜!」と命令するのです。最後に、水を流しながら「これでよし!」といいます。
特に気力をよみがえらせたいときは、トイレに行くたびにしばらく続けてみてください。心身の疲れをとりたい人も、かなり緩和できるでしょう。ただし、遊び半分の気持ちではダメですよ。
体内の不要なものを、実際に排出しながら行う方法はパワーがあるのですが、効果のほどは、本人がどのくらい真剣に行うかにかかっています。イメージングで脳に送った指令を全細胞に浸透させるのですから、効果があることを信じてまじめにやってくださいね。
神経症
2007年7月23日やめたいと思ってもやめられない
「やめたいと思ってもやめられない」こととは、
アルコールやタバコのような、
依存性の話しではありません。
自分の意志ではない不快な行動を、
何度も繰り返す神経症の話しです。
ピエール・ジャネは神経症の症状を
「感情を支配している無意識の観念のあらわれ」
と云いました。
つまり自分の意思に反して
湧き上がる不愉快な感情のことです。
人と会うと赤面してしまったり、
吃音やふるえの不快な感情に
支配されていく症状のことです。
神経症にはいくつか種類がありますが
分かりやすいのが、強迫神経症です。
強迫神経症と何か?
例えば一日に何十回も手を洗わないと気がすまない、とか
(一時間以上も洗ったりする)
戸締まり、ガスの栓、電気器具のスイッチを
必要以上に何度も確認したりする行為です。
本人だって馬鹿馬鹿しくてやめたいんですが、
やめられない。
患者のほとんどは、他の面では異常がないのも
神経症の特長です。
寝る前に、一定の儀式をしないと寝付けない・・というようなものにも
その行為をやらざるを得ないエネルギーが、
その人のどこかにあり、努力では止められません。
色々な心の対立がその人を、
優柔不断、無気力へと向かわせます。
患者は、
エネルギッシュで自我が強く、知性や道徳水準も高く、
たいへん良心的で、人よりも几帳面な人が多いようです。
では、この症状には解決はあるのでしょうか?
治療法は精神分析療法や
森田療法、内観療法、行動療法があります。
勿論、カウンセリングが効果をもたらす人もいます。
次回からは、フロイトの考えをベースに
お話していくことにしましょう。
(第30話)
「やめたいと思ってもやめられない」こととは、
アルコールやタバコのような、
依存性の話しではありません。
自分の意志ではない不快な行動を、
何度も繰り返す神経症の話しです。
ピエール・ジャネは神経症の症状を
「感情を支配している無意識の観念のあらわれ」
と云いました。
つまり自分の意思に反して
湧き上がる不愉快な感情のことです。
人と会うと赤面してしまったり、
吃音やふるえの不快な感情に
支配されていく症状のことです。
神経症にはいくつか種類がありますが
分かりやすいのが、強迫神経症です。
強迫神経症と何か?
例えば一日に何十回も手を洗わないと気がすまない、とか
(一時間以上も洗ったりする)
戸締まり、ガスの栓、電気器具のスイッチを
必要以上に何度も確認したりする行為です。
本人だって馬鹿馬鹿しくてやめたいんですが、
やめられない。
患者のほとんどは、他の面では異常がないのも
神経症の特長です。
寝る前に、一定の儀式をしないと寝付けない・・というようなものにも
その行為をやらざるを得ないエネルギーが、
その人のどこかにあり、努力では止められません。
色々な心の対立がその人を、
優柔不断、無気力へと向かわせます。
患者は、
エネルギッシュで自我が強く、知性や道徳水準も高く、
たいへん良心的で、人よりも几帳面な人が多いようです。
では、この症状には解決はあるのでしょうか?
治療法は精神分析療法や
森田療法、内観療法、行動療法があります。
勿論、カウンセリングが効果をもたらす人もいます。
次回からは、フロイトの考えをベースに
お話していくことにしましょう。
(第30話)
マルセリーノ
2007年7月19日アイデンティティ
次に示す図は、何が変化したのでしょう?
?○ ⇒ ○
?□ ⇒ ○
さて分かりましたか?
?では色が、?では形が変化しましたね。
では、なぜ変化したと分かるのかというと、
変化しない何かがあるからです。
?なら形、?なら色が変化していません。
この変化しないものを、アイデンティティと呼びます。
例えば私ですと、
日本人であること、男性であることは
生涯を通して、
変わることのない、私のアイデンティティです。
ちなみに、IDカードのIDとはアイデンティティの略語です。
日本語では自己同一性、自己一貫性といいます。
自分が誰なのかを知ることを、
アイデンティティを確立すると言います。
多くの人は青春期において、
自分とは誰か?
そんな悩みを持ったと思いますので、
共感する人も、多いのではないでしょうか。
この概念は、心理学者のエリクソン自身が、
その生涯を通して自らのアイデンティティに悩んだことから、
生み出されたと云われています
次に示す図は、何が変化したのでしょう?
?○ ⇒ ○
?□ ⇒ ○
さて分かりましたか?
?では色が、?では形が変化しましたね。
では、なぜ変化したと分かるのかというと、
変化しない何かがあるからです。
?なら形、?なら色が変化していません。
この変化しないものを、アイデンティティと呼びます。
例えば私ですと、
日本人であること、男性であることは
生涯を通して、
変わることのない、私のアイデンティティです。
ちなみに、IDカードのIDとはアイデンティティの略語です。
日本語では自己同一性、自己一貫性といいます。
自分が誰なのかを知ることを、
アイデンティティを確立すると言います。
多くの人は青春期において、
自分とは誰か?
そんな悩みを持ったと思いますので、
共感する人も、多いのではないでしょうか。
この概念は、心理学者のエリクソン自身が、
その生涯を通して自らのアイデンティティに悩んだことから、
生み出されたと云われています
酒
2007年7月17日おはようございます。
酒が喉を通り胃に降りていく。
多量の飲酒でうちは胃がんに肺がんにアルコール依存症になり やっと酒を手放しました。
7年目に入りますが一滴でも飲むと止めていた時の状態ではなくなります。
脳が覚えているんです。ブレーキの壊れた車のように死に向かって走り続けます。
自分の意思ではどうにもならなかったんですが仲間と共に酒を止め続けています。
皇室の方でもなるんです。
酒を楽しく飲むことが出来無くなってまわりが心配や迷惑をこうむりました。
ユリさん 酒は百薬の長ともいいますがそのあとこの言葉が続きます。
命を削る鉋(かんな
酒が喉を通り胃に降りていく。
多量の飲酒でうちは胃がんに肺がんにアルコール依存症になり やっと酒を手放しました。
7年目に入りますが一滴でも飲むと止めていた時の状態ではなくなります。
脳が覚えているんです。ブレーキの壊れた車のように死に向かって走り続けます。
自分の意思ではどうにもならなかったんですが仲間と共に酒を止め続けています。
皇室の方でもなるんです。
酒を楽しく飲むことが出来無くなってまわりが心配や迷惑をこうむりました。
ユリさん 酒は百薬の長ともいいますがそのあとこの言葉が続きます。
命を削る鉋(かんな
昨日
2007年6月11日怒涛のように襲ってきた。
先ずは惠子さん。お見舞いと言って来てくれた。
ミスドーに行ってコーヒーを飲む。
帰り駅をとおったら内さんが呑んだと寄ってきた。
人を待って居ると言う。
その人も呑んでいた。
内さんが匂うやろ そう言っても彼女も呑んでいるので
全然と言う。
プンプンにおっているのに・・。
赤い顔をして人は分らないと思っている。
この感覚の不思議さ。
10を7,6,5としていけば良い としょっちゅう言う。
私も違うよ 10か0やで!
でも彼女の考えは1は居ると言う・・。
断酒と言うことは彼女の中には無い。
当然無理な話なのでこの話はしない。
内さんと話していて4寝ん前の頃の主人の話が出た。
酷い欝だったね・・といった。
そう?欝だったの??
私は必死だったわ。
そう言うと私の体験談で涙したことが何度もあるといっていた。
穴吹さんの悪口を言っていた。この人には「だからあなたとこは回復しないのよと」言われ涙が出そうになったとそんな話までしてしまった。
ちょっと余分に話しすぎたと思っている。
帰ると徳能君からTEL.
また色々と今西や芝山の偉大さを話す・・?
なんで本質が見えナインかな?
世間の会社で役職に成れなかった人間が 府断で上役になる・・
この言葉は萩森のおばはんが言ったしょうむ無い言葉を吹田のバカな会長が今西と組んで村山卸をした話をした。
そしてその時大城さんのことが出てきて「20数年止めている物が真実や」と訳の分らんことをのたまった事から 吹田の分裂と
萩森ばばぁの分裂がある。
萩森おっさんもあのねちっこいばばぁのマシンガントークで身体を随分痛めているらしい。
家内で納められないからとて吹田の家族全体を巻き込んでの萩森ばバァは許せないなぁ。
こいつの話となると完全に思いやりや優しさは自分のためにだけあると思っているような程度の低い人間。
こんなのに関わる人は振り回されるだけのこと。
早く切り捨てればいいのに。
森 祥一朗さんが手紙をくれた。
何時も私を天使のように描いているがトンでもないと伝えている。
でも断に行かなくて止まっていることは嬉しい。
せめて私だけにでも繋がっていて欲しい。
家族の気持ちが変わってくることを祈っている。
家の中での暮らしは穏やかといっても色んなことが起きてくる。
呑まずに対応して欲しい。
新田さんも随分落ち着いてきた。
次の段階に来ている。
私と一緒で自分の気持ちを変えてきたことのストレスを感じているみたい。
呑む呑まないは相手に任せて自分のことを大事にしていくべきと考えをまとめることが出来た。
先ずは惠子さん。お見舞いと言って来てくれた。
ミスドーに行ってコーヒーを飲む。
帰り駅をとおったら内さんが呑んだと寄ってきた。
人を待って居ると言う。
その人も呑んでいた。
内さんが匂うやろ そう言っても彼女も呑んでいるので
全然と言う。
プンプンにおっているのに・・。
赤い顔をして人は分らないと思っている。
この感覚の不思議さ。
10を7,6,5としていけば良い としょっちゅう言う。
私も違うよ 10か0やで!
でも彼女の考えは1は居ると言う・・。
断酒と言うことは彼女の中には無い。
当然無理な話なのでこの話はしない。
内さんと話していて4寝ん前の頃の主人の話が出た。
酷い欝だったね・・といった。
そう?欝だったの??
私は必死だったわ。
そう言うと私の体験談で涙したことが何度もあるといっていた。
穴吹さんの悪口を言っていた。この人には「だからあなたとこは回復しないのよと」言われ涙が出そうになったとそんな話までしてしまった。
ちょっと余分に話しすぎたと思っている。
帰ると徳能君からTEL.
また色々と今西や芝山の偉大さを話す・・?
なんで本質が見えナインかな?
世間の会社で役職に成れなかった人間が 府断で上役になる・・
この言葉は萩森のおばはんが言ったしょうむ無い言葉を吹田のバカな会長が今西と組んで村山卸をした話をした。
そしてその時大城さんのことが出てきて「20数年止めている物が真実や」と訳の分らんことをのたまった事から 吹田の分裂と
萩森ばばぁの分裂がある。
萩森おっさんもあのねちっこいばばぁのマシンガントークで身体を随分痛めているらしい。
家内で納められないからとて吹田の家族全体を巻き込んでの萩森ばバァは許せないなぁ。
こいつの話となると完全に思いやりや優しさは自分のためにだけあると思っているような程度の低い人間。
こんなのに関わる人は振り回されるだけのこと。
早く切り捨てればいいのに。
森 祥一朗さんが手紙をくれた。
何時も私を天使のように描いているがトンでもないと伝えている。
でも断に行かなくて止まっていることは嬉しい。
せめて私だけにでも繋がっていて欲しい。
家族の気持ちが変わってくることを祈っている。
家の中での暮らしは穏やかといっても色んなことが起きてくる。
呑まずに対応して欲しい。
新田さんも随分落ち着いてきた。
次の段階に来ている。
私と一緒で自分の気持ちを変えてきたことのストレスを感じているみたい。
呑む呑まないは相手に任せて自分のことを大事にしていくべきと考えをまとめることが出来た。
マルセリノ先生
2007年6月9日仮面に気づくこと
人が一生をかけて,
達成しようとしている目標、
それは、その人自身になることと仮定して、
その事を説明してみましょう。
ある人が深い悩みをもつとき、その人が
安全で自由になれる人間関係をつくることが
とても有効であると考えられます。
相手の内面世界を理解して、受容をし
自由な雰囲気をつくりだし、その中で相手自身が
望む方向に思いを寄せて、自由にふるまったりすることが
私の目的です。
相手は果たして、この自由をどのように使うのでしょうか?
経験から云うと、相手はこの自由を使って
益々自由になっていく。
彼は人前で、取りつくろっていた仮面をかぶって、
役割を演じながら生活してきたのです。
彼は仮面をかぶっている事に気づき、
次に仮面を脱ぎ捨てようとするのです。
さて、この相手とは私であり、あなたです。
私達は何かを変えることで、
この問題を解決できると考えているのでしょうか?
仮面の下にある、私自身に出会うこと・・それが解決策です!!!
私の本質が変わることは、無いのかもしれませんが、
私の考え方を変えることは出来る・・・
そのことに気づくのです。
社会生活を送ることには、
その時々の仮面をかぶることも必要です、
しかし、一人にかえってくつろいで、
仮面をはずすことも忘れないで・・・
<過剰な自己表現>
攻撃的な自己表現をする人は、
自分を大切にしていますが、
相手を大切にはしておらず、
お互いを尊重する関係をつくっていません。
何か一つの考えが正しいと思い込み、
自分を押し通そうとなりがちです。
攻撃的な人は、主体的に動いているようですが,
その反面、
相手が,自分と違う事への不安、
逆らわれることの恐れ、
きちんと話し合えない不器用さなどを
抱えていることが多いようです。
そして、それらの思いが
カッコ悪いこと・負けることと、思っているので、
相手を攻撃し、
自分を守っていると考えられるのです。
<不十分な自己表現>
反対に「言いたいのに言えない」
「断りたいのに断れない」など、
自分の思いを十分に表現できないタイプの人もいます。
このようなタイプの人は、
自分の気持を表現できなかったり、
遠まわしに表現しすぎて、
相手に思いが伝わらなかったりします。
これは一見、謙虚な人物のようですが、
自分を否定したり、
不正直な自分を伝えている可能性があります。
「今からお茶でも付き合ってよ」と云われ、
一度は断りますが、
「いいじゃない、ちょっとだけ」と誘われズルズルと・・
家族が食事を用意して待ってくれてるのに断れない、
そのようなことです。
これは、
「せっかく誘ってくれてるのに断ると、
次から誘ってもらえない」という不安、
自分の都合より、
相手の希望を優先させてしまうからでしょう。
そしてイライラや不満を、
人知れず心にためてしまうのです。
人が一生をかけて,
達成しようとしている目標、
それは、その人自身になることと仮定して、
その事を説明してみましょう。
ある人が深い悩みをもつとき、その人が
安全で自由になれる人間関係をつくることが
とても有効であると考えられます。
相手の内面世界を理解して、受容をし
自由な雰囲気をつくりだし、その中で相手自身が
望む方向に思いを寄せて、自由にふるまったりすることが
私の目的です。
相手は果たして、この自由をどのように使うのでしょうか?
経験から云うと、相手はこの自由を使って
益々自由になっていく。
彼は人前で、取りつくろっていた仮面をかぶって、
役割を演じながら生活してきたのです。
彼は仮面をかぶっている事に気づき、
次に仮面を脱ぎ捨てようとするのです。
さて、この相手とは私であり、あなたです。
私達は何かを変えることで、
この問題を解決できると考えているのでしょうか?
仮面の下にある、私自身に出会うこと・・それが解決策です!!!
私の本質が変わることは、無いのかもしれませんが、
私の考え方を変えることは出来る・・・
そのことに気づくのです。
社会生活を送ることには、
その時々の仮面をかぶることも必要です、
しかし、一人にかえってくつろいで、
仮面をはずすことも忘れないで・・・
<過剰な自己表現>
攻撃的な自己表現をする人は、
自分を大切にしていますが、
相手を大切にはしておらず、
お互いを尊重する関係をつくっていません。
何か一つの考えが正しいと思い込み、
自分を押し通そうとなりがちです。
攻撃的な人は、主体的に動いているようですが,
その反面、
相手が,自分と違う事への不安、
逆らわれることの恐れ、
きちんと話し合えない不器用さなどを
抱えていることが多いようです。
そして、それらの思いが
カッコ悪いこと・負けることと、思っているので、
相手を攻撃し、
自分を守っていると考えられるのです。
<不十分な自己表現>
反対に「言いたいのに言えない」
「断りたいのに断れない」など、
自分の思いを十分に表現できないタイプの人もいます。
このようなタイプの人は、
自分の気持を表現できなかったり、
遠まわしに表現しすぎて、
相手に思いが伝わらなかったりします。
これは一見、謙虚な人物のようですが、
自分を否定したり、
不正直な自分を伝えている可能性があります。
「今からお茶でも付き合ってよ」と云われ、
一度は断りますが、
「いいじゃない、ちょっとだけ」と誘われズルズルと・・
家族が食事を用意して待ってくれてるのに断れない、
そのようなことです。
これは、
「せっかく誘ってくれてるのに断ると、
次から誘ってもらえない」という不安、
自分の都合より、
相手の希望を優先させてしまうからでしょう。
そしてイライラや不満を、
人知れず心にためてしまうのです。
喘息
2007年6月9日昨日内科に行き薬をきちんと飲むことを約束させられて 「飲んでいます」
そおうしたら 偉いもんですね月曜からず〜〜と痛みをこらえていたのに今日は筋肉痛がなくなっていてスッキリ起き上がることが出来ました。
家の用事が出来なくてネコの毛がフワつくと
気になり モップを持ってしましたが情けないですね・・。
歳を重ねて出来なくなる体験もしました。
そおうしたら 偉いもんですね月曜からず〜〜と痛みをこらえていたのに今日は筋肉痛がなくなっていてスッキリ起き上がることが出来ました。
家の用事が出来なくてネコの毛がフワつくと
気になり モップを持ってしましたが情けないですね・・。
歳を重ねて出来なくなる体験もしました。
6月に入ってしまった
2007年6月4日大腸ポリープは1つあったようで出血は見られなかったという。
主人は13年前には6個。
酒を止めたいまは腸も綺麗ですとのこと。
酒を止めてよかったね・・。
私はアレルギーでしんどいよ〜〜。
主人は13年前には6個。
酒を止めたいまは腸も綺麗ですとのこと。
酒を止めてよかったね・・。
私はアレルギーでしんどいよ〜〜。
マルセリーノ診察室
2007年5月12日マルセリーノ先生、こんばんは。
そう言えば背伸びをしなくなりました。
自分を肯定することが出来だしました。
自分を自分以上に見せたがっていた頃は更年期も重なり随分しんどい思いをしていました。
Commented by マルセリーノ at 2007-05-12 08:12 x
背伸びをすることなく
自分を肯定できるようになれてきたんですね。
もう自分を大きく見せて
しんどい思いをする必要もない。
つまり、machiさんは
ありのままの自分を
生き始めたのではないでしょうか?
年齢を重ねるとは、そう言うことだと思います。
そう言えば背伸びをしなくなりました。
自分を肯定することが出来だしました。
自分を自分以上に見せたがっていた頃は更年期も重なり随分しんどい思いをしていました。
Commented by マルセリーノ at 2007-05-12 08:12 x
背伸びをすることなく
自分を肯定できるようになれてきたんですね。
もう自分を大きく見せて
しんどい思いをする必要もない。
つまり、machiさんは
ありのままの自分を
生き始めたのではないでしょうか?
年齢を重ねるとは、そう言うことだと思います。
5月8日から10日まで北海道
2007年5月11日のりがjtbの旅行券をプレゼントしてくれた。
旭山動物園に行きたかったので行けて嬉しかった。
また次の日にゃんたさんと小樽で会った。
そして函館山。
最終はトラピスチヌ修道院でソフト。
函館空港から飛行機に揺られて帰阪。
旭山動物園に行きたかったので行けて嬉しかった。
また次の日にゃんたさんと小樽で会った。
そして函館山。
最終はトラピスチヌ修道院でソフト。
函館空港から飛行機に揺られて帰阪。
小杉家族会
2007年4月22日本村先生のお話は大変よく分かる。
今日は冨ちゃんを待っていたので記念病院の看護士三浦さんと
小杉先生と会話をした。
始めて会話した。
でも背伸びすることも無く等身大の私で話すことができた。
これは回復の表れだろうかな?
今日は冨ちゃんを待っていたので記念病院の看護士三浦さんと
小杉先生と会話をした。
始めて会話した。
でも背伸びすることも無く等身大の私で話すことができた。
これは回復の表れだろうかな?
ストレス
2007年4月18日ストレスに対する適応力が欠けやすい人は、おもに4つのタイプに分けられる。 たまりにたまると、極度のストレス状態や病気につながる危険性も高いので、気をつけよう。
1.まじめで几帳面な人
完全主義者で責任感も強く、努力家。人から頼まれたら断れず、全部自分で背負い込みがち。でも、適当なところで妥協するなんて死んでもできない。しかも、少しでもうまくいかないと落ち込む。ストレスに負けやすい人の中で最も多いタイプだ。
2.がんこで厳格な人
何事においても、他人の失敗が許せない。人がミスをするとすぐカッカし、その怒りがストレッサーとなってストレス状態を引き起こす。「キミはこんな計算もできないのか。ダメだね」「私の言うとおりにやればいいんだ」などと頭ごなしに言う人はこのタイプだ。
3.内向的でおとなしい人
イヤなことでもNOとはっきり断れない。仕事が終わってまっすぐ家に帰りたいときでも、飲みに誘われると断れず、お腹一杯でも残しては悪いからと全部食べてしまう。そして、あとになってくよくよ悩んだり自己嫌悪に陥ったり…。ストレスがたまらないほうがおかしい。
4.取り越し苦労の多い人
あれは大丈夫かな、これはうまくいくかな、などとついあれこれ心配してしまう。結局「なんだ、心配することなかったんだ」と取り越し苦労だったことが分かっても、またすぐあれこれ気になり始め、心の休まる暇がない。こういう人は、常に不安というストレッサーにおびやかされている。
1.まじめで几帳面な人
完全主義者で責任感も強く、努力家。人から頼まれたら断れず、全部自分で背負い込みがち。でも、適当なところで妥協するなんて死んでもできない。しかも、少しでもうまくいかないと落ち込む。ストレスに負けやすい人の中で最も多いタイプだ。
2.がんこで厳格な人
何事においても、他人の失敗が許せない。人がミスをするとすぐカッカし、その怒りがストレッサーとなってストレス状態を引き起こす。「キミはこんな計算もできないのか。ダメだね」「私の言うとおりにやればいいんだ」などと頭ごなしに言う人はこのタイプだ。
3.内向的でおとなしい人
イヤなことでもNOとはっきり断れない。仕事が終わってまっすぐ家に帰りたいときでも、飲みに誘われると断れず、お腹一杯でも残しては悪いからと全部食べてしまう。そして、あとになってくよくよ悩んだり自己嫌悪に陥ったり…。ストレスがたまらないほうがおかしい。
4.取り越し苦労の多い人
あれは大丈夫かな、これはうまくいくかな、などとついあれこれ心配してしまう。結局「なんだ、心配することなかったんだ」と取り越し苦労だったことが分かっても、またすぐあれこれ気になり始め、心の休まる暇がない。こういう人は、常に不安というストレッサーにおびやかされている。
昨日は
2007年4月18日選挙に行けないので市役所で投票。
両親を連れて行った。
炊き込みごはんとおかずを買ってはるす〜けいの所に行った。
そりゃあ新しい所を見たかったので喜んだことと思う。
疲れも出たかな??
両親を連れて行った。
炊き込みごはんとおかずを買ってはるす〜けいの所に行った。
そりゃあ新しい所を見たかったので喜んだことと思う。
疲れも出たかな??
お風呂に行ってきた
2007年4月16日K子さんが昼ごはん一緒しよ・・て。
髪も洗えないって じゃあ岸辺の極楽湯に行こうかって
うちの旦那と3人で行って来ました。
晩は例会。 これにも参加してくれるようです。
私は家族会(第3月)
新しい家族の人、高校の友達の知り合いだったようです。
グルグル繋がっているんかな?
ちなみに高校の友達の旦那は10年一人で止めている。
髪も洗えないって じゃあ岸辺の極楽湯に行こうかって
うちの旦那と3人で行って来ました。
晩は例会。 これにも参加してくれるようです。
私は家族会(第3月)
新しい家族の人、高校の友達の知り合いだったようです。
グルグル繋がっているんかな?
ちなみに高校の友達の旦那は10年一人で止めている。
父の診察日
2007年4月13日最近 当然のように主人が付いて来る。
着くと車椅子を出して乗せてくれる。
父も自然に従う。
こんな関係に早くなりたかったんやろうな。
ありがとうと心で言ってる。
声に出して言わなきゃぁダメやな。
涙もろい私であった。
野村さんの奥さんキミエさんが亡くなった。
3年3ヶ月病院生活。
ご主人も毎日病院へ・・。
お疲れの様子。気力を無くされないか心配。
着くと車椅子を出して乗せてくれる。
父も自然に従う。
こんな関係に早くなりたかったんやろうな。
ありがとうと心で言ってる。
声に出して言わなきゃぁダメやな。
涙もろい私であった。
野村さんの奥さんキミエさんが亡くなった。
3年3ヶ月病院生活。
ご主人も毎日病院へ・・。
お疲れの様子。気力を無くされないか心配。