6月になりました・・
気温の低い日があったり 暑い日があったり
体に負担です。

昨日は天橋立に連れて行ってもらいました。
食事は作らないので楽です。
カップラーメンやカップ焼きそば(^^;

プールと温泉三昧
パターゴルフもはじめてしてみました。
捷孝さんは楽しそうでした。
めぐちゃんも私も楽しかったわ。

めぐちゃんももう40歳・・
22年の付き合いになるんやなぁ・・。

5月20日の日記

2011年5月20日 日常
桜が開花しましたか?
そうですか、桜も日本列島縦断ですね。
無事に縦断できて良かったわ。
生き生きした色ですね。

宗谷岬の大草原は見れなかったんですが
広い広い場所でエゾ鹿が草を食んでいました。

樺太もかすかに見えました。
小船で間宮林太郎がこの場所から樺太まで行ったと聞き なんだか歴史に触れたような気もしました。


体調は毎日よくなっていっています。
食事は軽く食べる・・そんな様子です。
随分心配をかけてしまいましたね。
とっても心に沁み入ります。

礼文、利尻は遠かった・・礼文、

ユリさん、今回は帰ってから2日間寝込みました。
低気圧の影響で予定の船が出ず 最終便で稚内に戻ることができました。
家に連絡すると「島流しか?」って言われました。

余分の日には予定が入っていないし、いいお天気(^^)
宗谷岬に連れて行ってもらえ 最北端を満喫しました。
初めて「来てよかったなぁ」って思えました。

でも船酔い、バス酔い、飛行機酔いと
大変な体で帰って来ても カッパの帽子を押さえてスコトン岬の売店に飛びこんだり
エゾエンゴサクをまじかで見たり座禅草を見たり と楽しいことを思い出します(笑)

もう行く機会もないでしょうが 行って良かった(^^)
北海道は食べものが美味しいので太って帰るとガイドさんが言っていましたが
私、しんどかったので1キロ体重が減っていました(^^;

ユリさんの言葉でダウンのジャンパーとセーター、カッパを持って行きました。
2℃や4℃を体感して持って行って大変役に立ちました 
本当にありがとうございました。
4月26日火曜日
4月26日火曜日
4月26日火曜日
東京の母のお参りをしてきた。
小杉きいちゃんと待ち合わせて浅草寺まで・・
父が喉頭癌の手術をする時(14年前)
恭ちゃんがお参りしてくれてお礼まいりをしていないと言う
無理を言って連れて行ってもらった。
浅草寺 初めてだった。
お礼まいりをして仲見世を歩くと楽しくて・・
草加せんべいが売っていて懐かしい味で
思わず買った。
姉にもおすそ分けした。
いもきん・・浅草だった。
人形焼き
楽しかった。
スカイツリーが見えて歩いて建設中の所まで行った。
見上げると首が痛~い(笑)

今度の東京は楽しかった。
きいちゃんありがとう

新幹線品川~山手線新宿へ 階段降りて京王線明大前

計画的停電・・

2011年4月25日 日常
計画的停電・・
3月11日に地震が起きて
つなみによる原子力発電装置が破壊されていた。
電気もなく水もなく家もなくして多くの方が居る。
そしてつなみにのみこまれて行方不明の方が
未だに1万人以上いると言う。

そんな自然の恐ろしさを目の当たりにして
人間の非力さを悲しくも知ることが出来た。

日本人は謙虚で慎み深く 秩序のある姿が
世界中の人が日本人を評価しているらしい。

4月14日に台湾に行って来た
台湾から多額の義援金が日本に送られた
先人達が台湾のためにしてきたことが
この義援金に表れたようだ。

台湾の方にありがとうとツアーのみんなが伝えた。

両親の結婚記念日
父の入院中に60回目の結婚記念日だった。

それからもう3年目
母も生きていた頃だったので ・・・。

母さんに会いたい・・美智子に会いたいと言っていた父
同じ年に亡くなってしまった・・。


未曽有の地震・・
東北関東大震災
3月11日 大きな地震の後に
リアス式海岸に大きな津波が来て
家も車も大きな建物も 人間なんて本当にあっという間に犠牲になった。

大きな犠牲者数
日ごとに増えている

被災地ではまだ雪が降り
寒い体育館で身も心も凍えそう・・

原発も異常をきたし 不安を増幅している

暖かいふとんが私には天国の時があった
被災地の人にはまだ遠い道のり

頑張ろうね、みんなで頑張ろうね


緊急・・

2011年3月8日 日常
今年は寒かったからか・・
姉の婿殿が体調を崩し救急車のお世話になり入院

心臓の手術もしているので手も氷のように冷たいらしい。

大津の叔母ちゃんの時も寒かったのでそれから調子が良くなかったようです。
丁度1年前のこの頃に急性白血病になって息子が入院
去年9月にその息子を亡くし 心痛もあるのでしょう・・。

それでも 初盆や1周忌、納骨などがまだこれからなんです。
姉が一人で頑張るにはちょっとキツイんです。

お見舞いに行って「まだ○○君の所に行くのは早い、ちゃんとすることがまだある。慌てないでしっかり生きて欲しい」って
言ってきました。
私は涙がこぼれながら言うと 向こうも涙を浮かべ 頷いてくれました。

近いうちに透析が始まるようです・・。

助けてもらった命 生きて欲しい・・。
幹事を降りた・・
今日の総会は気になっていたんですが・・。

私も長いこと家族会の幹事をしていました。
7~8年位していたでしょうか。
お世話役と思いしていたんですが 会の中では色んな事があります。

酒を長年止めていても人の心が分からない人が多く居ます。
素直に、謙虚に、奉仕の心で・・ 
そんな風に言っていても行動が裏腹で人の心を逆なでする人もいました。
それも引き金でとっても嫌気がさしました。
酒を止めているだけで人間変わらないんですよ!
人間らしい思いやりの気持ちが無いとみんなが付いてきません。
自分の名誉欲や自己満足の世界に居ないで もっと優しく思いやりを持って気使いの出来る断酒人になってほしいです。

それが人間回復の第一歩です。

もう3月・・

2011年2月28日 日常
もう3月・・
早いものですねぇ。
あれだけ寒い冬も珍しい

春になると花粉症
辛いですねぇ

インフルエンザ
すみれ→慧→のり→はる→真千子→恭子 

2月13日

2011年2月13日 日常
2月13日
堅田の八重子さんの35日法要
無事に済み 納骨
おじちゃんのお骨の横に八重子さんはそろっとおかれた。
ゆっくりしてね。

雅之は風邪のため来なかった。
アルコールが入ったら何を言い出すか分からないので
来れなくてホッとしている。
千秋さんも不思議と大人しかった。
おかしいな??

相続の問題で独り占めが出来なくなってしょんぼりしていたのかな?

2月2日・・

2011年2月1日 日常
2月2日・・
孫のはるちゃんの誕生日

思い起こせば10年前
初めての子を妊娠したのに・・

心音が聞こえないので処置します

そう医者に言われ嫁さんは息子の肩に手を置き泣いていた・・。

処置をする前の検診でもう一度心音を聞いて下さって

「心音が聞こえます」そう医者が言ったそうだ
そして「悲しませてごめんなさいね」そのような言葉を嫁さんに言ってくれました。
付き添いで行っていた私もうれし泣きしたものです。

その心音 生きている証なんですね
その心音を聞きとってくれた先生に感謝しています。


命 そんなに重いとは感じられなかったが
このことがあって そしてこの日があって

 生きていると言うことに感謝します。
平成23年1月12日 18時

去年の5月に大津日赤に繋がって
自力で11月26日にタクシーで行った。
そのまま病院のベッドで亡くなった。
胆管癌だったようです。

死後の事を何もしていないのでこれから妹さんの加連さんは大変です。

黒川御津子 黒川しのぶ 森田敬子 黒川雅之、康弘、佳弘
黒川 裕 樋口勝己 鈴子 尾崎捷孝 真千子 恭子
本野イツ子 13名

死後の話・・

2011年1月5日 日常
自分が何時死んでいくのか分からなくて
不安に思う・・。

大津のおばちゃんに言えないもどかしさがあります。
父と母が「私の遺言やから 私が死んだらこうして欲しい」と
私に伝えた・・。
私は一緒に住んでいる娘にこうして欲しいとか
いざとなって必要なお金はここに用意している とか
遠まわしに おばちゃんに
人ごとのように話している。

最近やっとおばちゃんも死期を感じだしたのか
「私が死んだら家もみんなで分けて・・」なんて言い出した。
おばちゃん、揉めるもとやから自分で持っていたら?
あけましておめでとうございます
うさぎ年
母に住吉さんで12年前 干支のウサギを買って無事息災を祈った
そんなことを昨日ふと思い出した。

年末・・

2010年12月30日 日常
年末・・
堅田のおばちゃん
顔が黄色くなって顔もむくんでいる。

肝臓は腹水を抜くほどではないがパンパン
胃や腎臓を圧迫
排尿に時間がかかるらしい・・
それでもトイレまで歩いている。

足のマッサージをするのにベビーオイルが欲しいと言うので
下の売店に行くが無かった。
足のむくみをとる血行マッサージは気持ちがいいらしい
今日、病院に持って言ってあげようと買って来た。

もう年末で町はガサガサとみんなが動いている・・。

堅田の八重子さんは11月26日タクシーで病院に入った
紹介状を渡したらばったりと倒れたと言う
検査検査で子宮、大腸、胃と検査をしたがどれも綺麗だと言う
だのに食べれない・・。
検査の結果を12月9日に主人と聞きに行く

肝臓がん ステージ4末期だと言う

治療ができない
年齢83歳   75まで
抗がん剤、放射線、手術もみんな駄目

ただ痛みを和らげることは可能という
そして余命1~2か月
3か月?

明日は内本町の叔母さんの四九日法要二時から

12月6日

2010年12月7日 日常
隆也君の37回目の誕生日になるはずだった。

鈴子ちゃんは1日涙が止まらなかったと電話の先で言っていた。
寒くなって行くこの時期
今日は大雪 「空寒く 冬となる」

心も寒くなって来たんやね・・。

もう12月・・

2010年12月1日 日常
もう12月・・
蠍座の12月の月運コメント

気持ちにゆとりが生まれてきます。優しい気持ちも育まれるシーズン。自分のことばかり考えず、周囲にも目を向けてみましょう。あなたを必要としている人が、じっと救いを待っているかもしれません。また、何事も急いでも急がなくても、結果はさほど変わらないでしょう。急いでいる時こそ慎重に、ミスがないよう対処することが大事。何をするにもきちんと深く腰掛けて、心を落ち着けておくように。一方、多くを受け入れすぎて、収拾がつかなくなる場合がありそう。何でも許容することは、自分で自分の首を絞めることになるかもしれません。

父の3回忌・・

2010年11月26日 日常
父の3回忌・・
父の3回忌・・
父の3回忌・・
まる2年・・
病院での生活を思い出すと不憫で・・
辛かっただろうなと そればかり思う。

母の事は何もおもわない。
というか余りにもあっけない亡くなり方をしたので
まだ分かっていないのかもしれない。


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