今回は、失敗をめぐる話です。
◆失敗とは何か?
失敗を認めると、「自分はダメなんだ」と烙印を押されるかの
ように思うかもしれません。
けれど、失敗とはそもそも何でしょう。
それは「うまくいくまでのプロセス」なのです。
うまくいくためのヒントが、ひとつの失敗の中にたくさん
詰まっています。
だから私は「失敗は宝の山だ」とよく言います。
宝を手にするには、「失敗を認める」ことがスタートです。
失敗に苦しむのは、実は心から失敗を認めていないから。
事態を否定し、自分を否定していると、動き出せません。
認めれば、楽になれます。次のスタートラインに立てるのです。
ときには、自分が間違いをしたとは思えないのに、
苦境に立たされてしまうこともあります。
たとえば、いきなり左遷されてしまうなどです。
そんなときも、なぜこんなことになったのかと嘆いたり、
運命をのろったり、誰かを恨んだりしていると、
いつまでも苦境のリズムから抜けられません。
だからさっさと納得してしまうことです。
納得といっても、
「きっとこういうわけに違いない」
「あれがいけなかった」
といった、理由探しによる納得ではありません。
「私はこの経験から何かを得て、成長していくのだ」
「よし、ではこの経験に対して、このような態度で臨もう」
というふうに納得するのです。
◆「ごめんなさい」と言うこと
失敗して誰かに迷惑をかけたとき、失敗を認めるとは、
相手に対して「ごめんなさい」と心からあやまること。
あやまるのは、早ければ早いほうがいいのです。
その日のうち、あるいは翌朝一番に、ごめんとあやまってしまえば、
何日も苦しい思いをしなくてすみます。
時には、あやまれずに日がたってしまったり、何年もたって
しまうこともあります。
だとしたら、今からでいいからすぐあやまればいい。
「時間がたってしまったけれど、実はずっと気になっていたんです」
と話してもいいでしょう。
うまくタイミングがつかめなければ、相手が何か言ったチャンスに
「あのときは本当に悪かった!」と平あやまりすればいいのです。
相手との関係がこじれそうなときは、周囲に公言する方法もあります。
「あの人にこんな迷惑をかけて、本当に申し訳ない」とまわりに話す。
すると周囲の人から当人に、「こんなことがあったんだって?」
「ずいぶんすまながっていたよ」と伝わることが多いもの。
人は不思議と、直接の謝罪より間接的な情報に心が動きます。
間接的な情報は潜在意識に訴えるからです。
時期を見てもう一度「ごめんなさい」と言うと、案外と相手の心が
やわらいでいるものです。
相手を傷つけるような失敗をしたときは、あやまったからといって
相手が許すかどうかはわかりません。
けれど謝罪することで初めて、自分の中で本当に失敗を認めたことに
なるのです。
◆欲にとらわれない
失敗を認め、そこから新しい何かを学んだら、もう「失敗」に
こだわるのはやめます。
「失敗したくない」とか「今度はうまくやりたい」というのは、
言ってみれば欲です。
意識が欲にとらわれてしまうと、自分のリズムをくずします。
欲に目がくらんで、目の前の目的が見えなくなってしまうのです。
欲とはどんなことでしょう。
たとえば部屋で一人ため息をつきながら、
「もっといい仕事があったらいいのに」
「もっとお金があればなあ」
「自分を幸せにしてくれる恋人がいたらいいのに」
と考えているのは、欲のまわりをぐるぐる回っているに過ぎません。
「○○だったらなあ」と思う代わりに、
「○○するために、今、自分ができることは何か」と考えて、
行動することです。
目的に向かって行動をしているとき、それは単なる欲ではなく、
実現へのプロセスになります。
「また失敗しないだろうか」と不安がわき起こってきたら、
呼吸法で気持ちを切り替えてください。
新しい仕事や大きな課題を前にして「できるだろうか」と
不安になったときには、
「うまく目的を果たした自分」をイメージするワークと、
「失敗したが、それになんとか対処し、そこから学んでいく自分」を
イメージするワーク、両方をやっておくとよいのです。
潜在意識がイメージをしっかり受けとったら、あとは
「できるだろうか」「また失敗しないか」などと
あれこれ気に病むのは終わりにして、潜在意識にまかせてしまいます。
「目の前にある目的は何か」ということだけに意識を集中し、
それを精一杯やればいいのです。
…………………………………………『Be!』63号より改編
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