Bobの部屋から
2008年4月12日迷いと悟り私が何故、
神経症の話しを、いつまでもしているのか?
それは、神経症に苦しむ多くの人がいることを、
知っているからです。
禅宗(曹洞宗)の偉大なる僧であった、
故澤木興道和尚は、
坐禅とは「打ち方や止め」の号令であると言いました。
森田療法も同じことです。
心に浮かぶ想念はどうしようもない、、
ただその思いに、
価値判断することをしないのです。
心をあるがままにして置きます。
そして生きる欲望と死ぬ恐怖は、
二つの違う価値ではなく、
表裏一体、二つで一つのものです。
生きることに暇なら、死ぬことに忙しくなります。
だったら生きることに忙しくしたら、
死ぬ恐怖は消えていきます。
それが分かれば、
大急ぎで、今の生活に手を出してください、
それに尽きるのです。
そうすれば治すと言う手間を省き、
いまから、治っていることに気づくはずです。
(第180話
神経症の話しを、いつまでもしているのか?
それは、神経症に苦しむ多くの人がいることを、
知っているからです。
禅宗(曹洞宗)の偉大なる僧であった、
故澤木興道和尚は、
坐禅とは「打ち方や止め」の号令であると言いました。
森田療法も同じことです。
心に浮かぶ想念はどうしようもない、、
ただその思いに、
価値判断することをしないのです。
心をあるがままにして置きます。
そして生きる欲望と死ぬ恐怖は、
二つの違う価値ではなく、
表裏一体、二つで一つのものです。
生きることに暇なら、死ぬことに忙しくなります。
だったら生きることに忙しくしたら、
死ぬ恐怖は消えていきます。
それが分かれば、
大急ぎで、今の生活に手を出してください、
それに尽きるのです。
そうすれば治すと言う手間を省き、
いまから、治っていることに気づくはずです。
(第180話
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