依存  斉藤 学

2007年9月11日
第39回「プロセス依存」ということ 精神科医・斎藤学
 アルコールや薬物の摂取にのめり込む状態を指して使われていた「○○依存症」という言葉が日常生活の様々な面で使われるようになってきた。仕事依存症とかギャンブル依存症のように。これについては私にも責任の一端があるので、この言葉が発生した経緯を述べる。

 もともとは1960年代のWHO(世界保健機構)がそれまで用いていたdrug addictionを止めてdrug dependence syndromeを使おうと提案したことに始まる。70年代の後半、日本でも遅ればせながらこれに対応しようということになり、厚生省(現厚生労働省)の精神保健課が、当時「慢性アルコール中毒」と呼ばれていた疾患への対策を考える専門委員会を設置した。私がその原案というか叩き台みたいなものの作成を命じられたのは、その直前までアルコール関連疾患を扱う国立施設(現久里浜病院)に所属していて、70年代の冒頭にはWHOのフェローとして薬物依存対策を研修させられていたからである。

 その原案で、私はalcohol dependence syndromeを「アルコール依存症」と訳した。当時私の書斎の机上にあった漢和辞典「字源」に「症は証なり」とあって、幾つかの徴候の集まりを言うと解されたからである。「症」は一字で「症候群」を意味するからこれでいいと思った。ちなみに「病」(へい)とは病状の増悪を重ねるものを言う。

 そういうわけで、addictionという用語は薬理学および精神医学の領域から追放されてしまったのだが、日常用語ないし臨床心理学用語としては用いられる頻度がかえって増えた。それはそうだろう。これはラテン語のaddictus(割り当てる、ゆだねるの意のaddicereの過去分詞)に発する由緒ある言葉だから、薬理学者たちが恣意的に切り捨てられるようなものではない。このラテン語で「ゆだねられた」とは「とり憑かれた」ことである。「取り憑かれ(obsession)」は精神医学では強迫観念と訳され、「ある考えや行為にはまって抜けられないこと」を意味するから、ギャンブル、窃盗、過食、セックス、買い物、ある種の人間関係(共依存)などにはまりこむのをこの言葉で表現するのは妥当だ。

 それどころか、これら心理・行動的アディクションも、脳内では薬物依存症と同じ仕組みが働いていることがわかってきた。これを説明するにはドーパミン作動神経系の興奮と、それを抑制するGABA支配神経系の相互作用、それに絡まるベータ・エンドルフィン(オピオイド=脳内麻薬)などについて述べなければならないのだが、ここでは字数が足りない。

 ただ、リストカット(手首切り)などの自傷行為の際にもオピオイドの放出が導かれて無痛感(や陶酔感)が生じることは指摘しておいたほうが良いだろう。つまり自傷行為もまた依存症を引き起こすのだ。βエンドルフィンの放出は格闘、性的興奮、ジョギング、持続する発熱、神経性大食症(bulimia nervosa)の際の自己誘発性嘔吐などでも報告されている。これらが繰りかえされるとすれば、それは行為の過程(process)として生じる依存症なので「プロセス依存」と呼ばれる。

 今の時代、この種の行為にはまっている人々は多いが、そこから自力で抜け出すのは困難だ。アルコール依存症では自助グループで「先を行く仲間」に出会え、ということが言われるが、これは他の依存症についても言える。しかし自傷依存症や買い物依存症の人が、自力でその種の集会を見出すのは難しかろう。彼らに出会いの場を用意するのも治療者としての私の仕事のひとつだと思う。4月22日に東京の「すみだリバーサイドホール」(墨田区役所の隣)で開く「JUSTアディクション・フォーラム2007」(JUST:Tel 03-5574-7311 http://www.just.or.jp/)はそうした集会のひとつなので、関心をお持ちの方は参加して頂きたい。

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